アンデパンダン展
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アンデパンダンとは?

仏語で“1NDEPENDANT"。自主・独立を意味する言葉。芸術に対する権力や資本からの独立、制度的意識からの解放をめざしています。



なぜ非審査・自由出品?

第1回展の目録には「発表の目由・表現の自由の最も端的な形態」であると同時にそれは「真の客観的な評価を求める道」であると書かれています。 ある権威による価値ではなく、美術家同士、美術家と鑑賞者の相互評価の中から新たな価値を求めていくことをめざしています。



昔、読売アンデパンダン展というのがあったと聞きましたが、どう違うのですか?

日本美術会の主催する「日本アンデパンダン展」は1947年に第一回が行われましたが、1949年(1948年に社告発表)に読売新聞社が本会主催の「日本アンデパンダン展」と同名の展覧会を始めたことからこの問題が生じました。  日本美術会は1948年10月「新聞の商業的企画がこれを利用するのは本来美術家の自主によるべきアンデパンダンの趣旨に反し、直接には第2回日本アンデパンダン展の妨害となる」ことを抗議し、会名変更を求めました。これに対し、読売新聞社は悪意のない偶然であったと釈明し、両者交渉の結果、美術家の自主性を尊重するなどの申し合わせで、両者協力して日本に於けるアンデパンダン展の自主的民主的発展をはかる方向が確認されましたが、その後の読売新聞社の対応が興業主義的方向をたどるようになっていったことから、日本美術会は再度抗議し、その後も抗議は継続されましたが、結局読売の横車がおしとおったかたちで、同名の二つの展覧会が長い間並立することになりました。  このことは、自由も民主もみな二通りずつあるという戦後日本の普遍的現象をそのまま反映していたともいえます。49年末、評論家今泉篤男氏の斡旋により、両展合同の議がおきましたが、結局成立しなかったのも当然の成り行きと言えます。二つのアンデパンダン展は本質的に異質な対立物であり、どちらかが変質することなしに合同は不可能だったと言えます。そのどちらが真物で、独立精神を貫く意志を本当にもっていたかは読売がその企画を弊履のごとく投げ捨てた今日では事実が一層明白に語っています。  結局「読売アンデパンダン」は日本における前衛の作品と誇ったものの、自らの「前衛的」な作品によって、1963年に自滅して展覧会そものもが中止となるにいたりました。

(参照:「日本アンデパンダン展の25年」−「二つのアンデパンダン」問題他)