二つの日韓交流展と人的交流
京都と東京で開催された会主催の二つの「日・韓交流展」が終了した。または、始まったというほうが良いのかもしれない。 昨年の韓国二都市で開催された「韓・日交流展」の続きの、今年は日本での連続展であった。 美術展と人的交流の二つの催しがそれぞれが 10 名、計 20 名の韓国からの美術家と美術関係者を招いた大きなイベントだった。 …その経過と歴史…
「日・韓交流」日本 美術会展」
''Japan - Korea exchange''Nihon Bijutsu Kai Art Exhibition
百済の古都・公州のアーティストとの新しい時代展
京都市美術館別館 2004.9月21日~26日
主催:日本美術会/ 「日・韓 交流」日本美術会展 実行委員会
共催:韓国美術協会 公州支部
後援:京都府/京都市/京都新聞 / 駐日韓国大使館 韓国文化院
韓国からは 10 名・ 20 点の出品があった。 10 名が来日した。オープニングセレモニー、レセプション、作品研究会、奈良ツアー、京都ツアー、など人的交流、文化相互理解のためのプログラムが実施され た。日本側からは 114 名 138 点の出品がされた。鑑賞者や催し参加者を含め延べ千数百人が関わった。
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レセプション(9月21日) | レセプションで金会長から百瀬事務局長へ 韓国のお酒のプレゼント |
三年坂でのスナップ |
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八坂の塔を背景に記念スナップ | 日韓合同の作品研究会 (9月23日・会場) |
京都展レセプション記念撮影 |
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京都展レセプションにて | 薬師寺にて | 国立京都博物館の前で |
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奈良ツアーにて | 三十三間堂にて | お別れの記念写真 (9月24日・清水) |
「日・韓 美術交流」 東京展 2004
‘Japan-Korea Art exchange'' Tokyo Exhibition
光州・全南のアーチストとの新しい時代展
セシオン杉並 展示室 2004 11月16日~21日
主催:日本美術会/ 日韓美術交流展実行委員会
共催:光州・全南 美術文化發展研究會
後援:駐日韓国大使館 韓国文化院 / 我泉美術館
韓国から 36名・37点の出品があり、10名の招待、来日があった。 オープニングセレモニー、レセプション、作品研究会、鎌倉ツアー、など人的交流、文化相互理解のためのプログラムが実施された。 日本側からは56名62点の出品がされた。鑑賞者と催しもの参加者を含めて延べ千人ほどの参加があった。
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オープニングの記念撮影 (11月16日・会場) |
オープニングで、 渡辺代表と林会長 |
レセプションの渡辺代表の 挨拶 (16日・後楽園会館) |
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レセプションの岡本氏挨拶 | 鎌倉ツアーの建長寺にて | 京成上野駅でお別れの 記念写真 (11月19日) |
京都・東京での二つの日韓交流展と人的交流が終了して
二つの「日・韓 交流展」と人的な交流が終了した。京都 9 月・東京の 11 月という連続する日程は、実行委員に過労を強いたが、不充分ながら大きな問題を生じることなく、相互理解が前進した。「冬のソナタ」が代表する「韓流ブー ム」が追い風になったのか?と聞く人がいたけど、それは逆であって、そうした現韓国の文化活力と日本美術会の国際活動が共鳴し合ったことで、劇的な変化が あったと言われる最近の日韓交流の深部に入り込んでいたのではないのか?その時、我々こそが日韓文化交流の本流に位置していたのだと。大げさな事を言うと 思われるかも知れないけど、時が証明するだろうと。
二つの交流展と人的交流のビデオも制作されたことも付け加えたい。