「韓日交流展」が行われました2003年秋韓国の二つの都市で

韓国の光州市(全羅南道)と公州市(忠清南道)での交流美術展とその歓迎ぶりは 熱気あふれるものでした。作品交流と計20人訪問で、韓国文化への理解が進みました。

光州市の南道芸術会館-「韓・日美術交流招待展」2003年9月24日~28日 公州市の公州市文芸会館-「韓・日交流展」2003年10月9日~14日 光州へは11名、公州は9名、日本から韓国へ訪問、交流しました。 日本から光州へは22名40点の出品。公州へは10名22点の出品をしました。 前年の2002年がワールドカップ・コリアジャパン(日韓共同開催)で、これが成功したし、 韓国では長年にわたった日本文化への持込禁止政策が徐々に緩和され、基本的には全面解禁の年でもあったという事。 そういう転換点とでも言う時期にあたったのか、本当に大きな期待がこの交流展に集まった事は、訪韓した日本美術会会員の実感だったのではなかろうか。 自治体の役員から各美術大学の教授連など毎夜交流が続いた。ツアーも行われ、知らなかった韓国への認識が深まった。 次の年2004年から日本では「冬のソナタ」ブームが社会現象と言われ、「韓流」が話題になりだした。どうもこうして今振り返ってみると、 日本美術会の韓国二都市での韓日交流展と人的交流という船は、時の流れの本流に乗り入れていたと言えそうだ。2003年の美術分野でのこの出来事は、 隣国との平和と文化相互理解に向けての一歩であり、東北アジアの自主的美術運動の交流の第一歩であった。

(文責・木村勝明)
 
光州展の会場にて 光州展の会場にて 「李朝」でのお別れの宴、
キーセンのパンソリも聞けました。
扶余の国立博物館の前にて記念写真 公州の聖谷寺にて 光州展会場の前で、
(花飾りがいっぱいでした)
光州・会場「南道芸術会館」 公州・文芸会館の展覧会の幕 扶余の博物館前にて
落花岩にて、
(百済最後の女官達が自殺入水した岩)
百済四王追慕祭に列席する 百済文化祭のスタジアムでのイベント