日本美術会のあゆみ3
安保前後
1957年~1962年

1957.1

第10回日本アンデパンダン展1/28~2/8


曹良奎「密閉せる倉庫」 

小副川美津「少年」

麻生三郎「裸」
 
1958.4

美術運動「原爆の図特集」(第55号)発行

1958.1~1959.10

舞台芸術学院(池袋)事務所時代

1958年

(委員長:硲伊之助  事務局長:中島保彦)

1月舞台芸術学院(池袋)へ移転(借家)

3F日美事務所、2F会議室

研究会・シンポジューム活発化

4月美術運動「原爆の図特集」第55号発行

(7月委員長欠事務局長:桂川寛)

10~12月警職法反対闘争

1959年

(2月委員長欠事務局長:中野淳)

3月第12回日本アンデパンダン展直後

展実行委員長自宅火災

アン展出品料等かろうじて持ち出す

9月安保条約廃棄アピール

安保闘争本格化

10月舞台芸術学院全焼

日美事務所の貴重な全資料焼失

(現存資料はその後会員から収集)

1958.10

警職法反対闘争

カンパ100円以上の方に似顔絵を!    警察官職務執行法の改正に反対
1960

「美術家平和会議」設立多くの会員が参加


ピカソの「平和の鳩」
1959.9~1960.6

安保闘争

1960

三井三池労組支援色紙展日美・平美・自由美術・春陽・新制作・独立・新興美術・行動が参加

1958~1962

第11回~15回日本アンデパンダン展


南義郎「深海魚」11回

小山田二郎「鳥女」15回
 
                                                                                             

岩野勇三「母」13回 

市村三男三「夜空に輝く平和の旗」14回
 
1962.2

第15回日本アンデパンダン展2/18~3/8

第15回展日美15周年記念展示

「日本美術会15年のあゆみ」

資料焼失

会員個人の持つ資料を寄贈

会の資料を新しく収集

第15回展特別展示

「ドイツ民主主義共和国版画」80点

国際交流での版画の有効性を認識

後の日美会員の版画制作

版画による国際交流の起点

 

特陳

「ドイツ民主共和国現代版画展」

29名/80点出品

 
1962年度総会3日間開催

2/25第1日(上野・韻松亭)

ソビエトでの「日本現代美術展」が問題になる。展は会員が中心に企画し、出品者に日美会員も多数いるのに日美への報告や審議がなく紛糾する。

3/10第2日(サクラクレパス)

「総会への29人の提案」提出。会組織の見直しや会史の見直しを提案。

4/11第3日(奨学会館)

会の目標や組織の見直し

国際交流の見直し

会史の見直し

初日委員選出を無効として再選出