第68回日本アンデパンダン展・イベント  アートフォーラム

アンデバンダン展の源流をさぐる
   ―村山知義と柳瀬正夢―

3月29日(日) 12:30開場13:00開場/美術館講堂にて
講師
水沢勉氏(神奈川県立近代美術館館長)13:10-
「村山知義、ふたたび 多様な価値が共存するために」
武居利史氏(府中市美術館学芸員/美術評論家)14:40-
「柳瀬正夢 多様なメディアを貫くアクティヴィズム」


村山知義、ふたたび
多様な価値が共存するために
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
Forum2015 1

大正時代末にまさに世間を騒がせた「マヴォイスト」のひとり、若き村山知義(1901-1977)は、戦後、大衆的な小説家として予想もしないような成功に浴することになる。

1960年11月から1962年5月まで『赤旗』日曜版に連載した長編小説「忍びの者」が大きな評判を呼んだことである。現在、岩波現代文庫の5冊として出版されている。

今回、初期のベルリン滞在期の村山が、中欧の大都市で出会ったさまざまな芸術的な諸傾向がどのように日本へと移植され、先行する未来派美術協会との関係で、ダダ的な方向へと急激に加速させたことはすでに史実を踏まえて議論が試みられてきた。その後、演劇へと主要な関心を集中させ、やがてプロレタリア美術運動との関わりを深めるなか、「転向」へと至ることになる。それは、20世紀の最初の年に生まれ、表現者としてなんども屈折を余儀なくされた村山が、当人も予想しないような、はじめての大衆的な成功であつた。この長編は60歳前後の円熟期の村山の集大成という性格も備えていると考えられるが、いままで、そのことを正面から論じたことはあまりなかった。

Forum2015 2 1922年のベルリン時代の典型的な作例である《ニッディ・インペコーフェンによって踊られた『お気に召すまま』》は、村山知義が受容したさまざまな美術的影響を考えるときに、きわめてユニークな性格を備えているように思われる。まだ構成主義的な要素は明確ではないものの、ベルリンでの、あるいは、同時期の日本での、どのような美術表現とも隔絶した特異な作品というべきであろう。

わたしの話では、1922年のこの作品と1962年の小説と対置して、その懸隔と、そのあいだに密かに繋がるものを測りながら、村山知義における「大衆」の問題、そして、アンデパンダン形式の日本での最初の試みである中原実の画廊九段での「無選首都展」にも言及し、美術展というものが「大衆」との関わりを持とうとした1934年の東京堂画廊での「版画アンデバンダン展」にも触れてみたい。

 

柳瀬正夢
多様なメディアを貫くアクティヴィズム
武居利史(府中市美術館学芸員/美術評論家)

45年の短い生涯のあいだに膨大な仕事をした柳瀬正夢。油彩、水彩、素描など絵画、漫画や挿絵、ポスターのデザインや本の雑誌の装慎、あるいは演劇や写真とのかかわりといった幅広い領域にまたがる多面性が、この多才な作家の仕事を特徴づけている。美術館でたびたび開かれてきた回顧展は、そうした多様性の紹介に重点をおいてきた。

しかし、同時にその多様性に一貫するものは何であるのかを見定めなければ、作家の全貌をとらえることも難しいだろう。多くの画家が作品群を一堂に展観することで見渡せるのとは異なり、柳瀬の場合には一つひとつの作品がその時代の中でどのように機能したかを想像しつつ見なければ、その魅力を十分に味わうことができない。それはその時代の中で生きた芸術表現でもあるからだ。

Forum2015 3多様な作品を通して浮かびあがるのは、芸術活動を通して、社会と向きあい、時代を開くという作家の生き方である。芸術による社会変革を志向したという点で、体制の権威と結びついた美術のあり方、アカデミズムとは対極にある。今日あえていうなら、アート・アクティヴィズムともいえる、作家の態度だろう。それは表現活動を通して市民の公共圏を獲得していく営みであり、メディア自体の創造もその範疇に入る。

柳瀬は、プロレタリア美術の団体に所属はしたが、プロレタリア美術展には出品していない。若いとき公募展に出品もしたが、未来派、マヴォ、三科展を経て、会場芸術にひとまず見切りをつけ、漫画やデザインのような複製芸術の世界にさらなる可能性を見出していった。新聞や雑誌での活動を中心にすえることで、もっとも社会的な影響力を持ちえたのである。それは同時に表現を規制する国家権力とのたたかいでもあった。

Forum2015 4多様なメディアを舞台とするアクティヴィズムは、今日珍しいものではなく、現代美術では大きな潮流でもある。柳瀬の仕事を、近代美術の枠組みで整理し直すのではなく、現代的な視点から、現実世界においてコミュニケーションを成立させる行為の芸術としてとらえ直すことが重要ではないだろうか。どちらかといえば近年は、柳瀬の政治的、思想的な表現を古くさいものとして低く見る傾向が続いてきたが、むしろそこにこそ新しさがあるように思う。

 

Forum2015 5柳瀬が社会主義的な無産階級の解放運動へと向かう上で、1923年9月の関東大震災は大きな役割を果たした。2011年3月の東日本大震災の記憶もまだ生々しい私たちにとって、そうした体験の切実さは理解しやすいものとなっている。二つの震災と復興の時代を照らし合わせながら、柳瀬という作家が、新たな複製芸術による表現の探究を通じて、何とたたかおうとしたのかという問題について考えてみたい。

 
 
 
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