9条改憲に反対し、平和を守る緊急アピール

 

いま、憲法9条が危機に瀕しています。安倍首相は「改憲は歴史的使命」と強調し(2018年自民党新年あいさつ)、今年の国会での発議にむけて動きを強めています。

いうまでもなく、日本国憲法の平和原則は、300万の国民と、数千万人のアジアの人々に傷ましい犠牲をもたらした戦争への痛切な反省の上にうちたてられたものです。戦後70年余、日本が「戦争で一人も殺さず、一人の戦死者も出さない」で過ごしてきたのは、憲法9条の存在と、それを支える国民の熱い思いがあったからにほかなりません。安倍政権は「9条1、2項はそのままに、3項に自衛隊の存在を書き込むだけ」と称しているものの、集団的自衛権を付与された自衛隊が、国際紛争の矢面に立つことになるのは、まさに憲法の平和原則の一線を乗り越えて、日本が「戦争する国」へ変貌することを意味します。

国際社会では日本人は非常に信頼されているといいますが、その信頼の高さは、戦争しない国への信頼、すなわち憲法9条への信頼であると言い換えてもいいのではないでしょうか。この信頼を裏切ってはなりません。

72年前(1946年)に日本美術会は発足しました。戦争中に美術と美術家が国家の進める戦争に利用されたことへの痛恨の思いが原点となっています。戦争は生命の消耗だけでなく、必ず文化も消耗します。「戦争できる体制」は必ずそのための精神の動員を要求してくるものであると、私たちは戦中の体験から、教訓を得ました。自由な美術の創造と平和とは表裏一体のものです。

いま、全国7000余りの草の根「9条の会」をはじめ、戦争法廃止、9条守れ、の市民運動が大きな潮流となり、その結集点として「安倍9条改憲NO!」の3000万署名運動が全国ですすめられています。

私たち日本美術会も、この大きなうねりに合流し、いま、火急の時であるとの認識をあらたにするとともに、「9条守れ」の叫び声をさらに大きくし、さらに広げていくことを決意します。広範な美術家の方々との連帯を願いながらアピールとします。

         2018年4月22日 日本美術会 

特別決議

「共謀罪」法案、憲法改悪に反対します

 「共謀罪」法案が衆議院で強行採決され、参議院に送られました。政府は説明責任も果たさず、国民の人権・自由を奪い、この国を物言えぬ監視社会に変えようとしています。これは戦前の治安維持法の再来である。秘密保護法、戦争法案、原発再稼働、沖縄辺野古新基地造設 等々、こんなにも国民を無視し愚弄している政治は民主政治とは言えません。

 安倍自公維政権は暴走し続け、さらに憲法9条を改悪を提起し戦争ができる国へと異常な執念を燃やしている。良識ある国民の力でなんとしても阻止せねばなりません。

私たち美術家集団が大切に考える「表現の自由」は憲法で保障されていますが、それすらも安倍自公維政権は犯そうとしています。公権力で作品の撤去やクレーム等、不当な介入から芸術文化を守らなければなりません。芸術活動の、自主性や創造性が尊重され、誰もが享受できることは人々の生まれながらの権利です。

 憲法施行後70年経ちました。私たち国民の総意で戦争を放棄し平和と民主主義を守り、安全で豊かな社会の実現を目指してきました。私たちはこの方向をねじ曲げようとする、安倍自公維政権の退場を求めるとともに「共謀罪」法案、断固反対!憲法改憲 断固反対!決議するものであります。

         2017年6月4日 日本美術会 

特別決議

2016東京都知事選

鳥越俊太郎氏を推薦する

舛添要一前知事は公費私的流用疑惑により、多くの都民と都議会の糾弾を受けて辞職した。それに伴い東京都知事選(2016年7月31日投票)が7月14日告示された。

先の参議院選(7月10日投棄)で野党共闘が進み、東京都知事藩でも4野党(民進党、日本共産党、社民党、生活の党)により統一候補の検討がなされ、鳥越俊太郎氏が野党統一候補として決定した。

鳥越は都政に臨む基本姿勢として「住んでよし、働いてよし、環境によし、の3つのよしの東京都を実現したい」とし、舛添前知事の「政治とカネ」疑惑についても「税金は一人ひとりの汗の繕晶。どれだけ正しく受け止めて使うか.という問題が、今回の選挙の大前提だ」と述べている。参院選で改憲勢力が3分の2を占めたことに関しても、そういう動きを元に戻すために自分の出来ることは何かと考え立候補を決意したとも述べている。

同じ革新都政実現の立場から立候補を決めていた宇都官健児氏は、野党共闘を尊重することを最優先として立候補を取りやめた。宇都官氏の勇気ある判断は多くの都民から称賛され、鳥越氏も宇都宮氏の意を汲んで選挙戦に臨むことを表明した。

鳥越氏の政治姿勢は多くの都民が皇む方向であり、平和を居い民主的美術運動を進める日本美術会としても氏の提起する方向に賛同し、その当選を願って推薦し鳥越俊太郎知事誕生目指して力を尽くすものである。

2016年7月18日

日本美術会 第2回委員会

日本美術会創立70周年・「民美」創立50周年 

記念祝賀会

2016年4月24日、日本美術会センターが在る平和と労働センタービル2Fホール にて盛況に開催される。
1部では日本美術会代表・鯨井洪、日本美術会付属研究所「民美」所長・佐藤勤、のあいさつがあり、来賓美術団体からのあいさつ(平和美術家会義・美術九条の会)、北野輝(会理論部部長)の講演「日本美術会の70年」(30分)があり、資料部が制作したパワーポイントによるスライドショー「日本美術会と民美、その歩み」(15分)がありました。感想を元代表の二人、民美卒業者から二人からインタビューし閉会。
2部は乾杯の前に来賓のショートスピーチをいただいて、乾杯は菅沼(飯田の)、ゲスト出演「制服向上委員会」の若さあふれる歌があり(30分)お酒も入って盛り上がる中、 何人かのスピーチをいただきましたが、すいません聞き取りにくい場所もあったと思います。最終には河野新一、佐藤善勇、岡部昭、岡本博さんらのスピーチと素晴らしい歌などあって、大変会場全体が和む場面があって終了。全体で130名近い方の参加がありました。その後は二次会など自主的に行われたと承知しておりますが、この日の講演などの内容は別紙にて発表予定です。また人気と興味を大いに喚起された画像のパワーポイントは来年の日本アンデパンダン展70回記念展で、もっと充実・編集して(20分予定)会場内で他の資料展示と共に上映される予定です。(文責・木村)
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日本を「海外で戦争する国」にする

「戦争法案」を廃案に

安倍首相は「国民の命と平和な暮らしを守る」ためのものだと言って、本年5月26日、安全保障関連法案(戦争法案)を国会に提出、7月15日には委員会で採決強行、同16日には衆議院での採決を強行しました。

法案は、自衛隊の役割を拡大して、海外派兵や米軍の支援にあてるためのもので、地理的制約もなく米軍のあらゆる戦争に参加します。自衛隊員が攻撃される危険があり、武器を使用しての戦闘行為を行う危険もあって、日本人が「殺し、殺される」危険も飛躍的に高まります。

これは不戦を誓った憲法の平和原則を根本から破壊し、日本を米国とともに「海外で戦争する国」につくり変えるものです。こんなものが憲法9条の下で許されていいはずがありません。

1945年の太平洋戦争敗戦以降70年、日本人は戦闘で死んだ人は1人もおらず、一人の外国人も殺していません。平和であったからこそ不十分ながらも安穏な暮らしが出来、文化・芸術に親しむこともできてきました。

戦争は兵士だけでなく多くの人命を失い、財産を破壊し、経済的困窮を招きます。二度としてはならない事であることは、先の大戦が大きな痛みを伴って教えるところです。

以上の理由から日本美術会は、憲法を守り戦争に反対すると同時に現在国会で審議中の「戦争法案」の廃案を強く求めるものです。

2015年7月19日   日本美術会第44回総会 

「実験工房」- 2015年 4月スタート -

民美所長 美濃部民子

実験工房2

民美に新しい可能性が出てきた。「アトリエかつび」のアトリエが一室民美で借りられることになった。

「アトリエかつび」とは御存知の方も多いかと思うが、金沢美大を卒業したベビーブーマー世代を中心に葛飾の地(東京都葛飾区)で創作を続けている男性グループの共同アトリエだ。

現在の民美のアトリエは一室を一週間通し8コースの民美生が午前、午後、夜間と分けてフル活用している。民美生は授業が終るごとに片付けを課せられるし、静物モチーフなどもセットしたままというわけにはいかない。平面の仕事ならまだ片付けも楽だが立体となると制作途中の作品の移動片付けは容易でない。また会館からの制約として火を使う事ができないのは、版画でのアクアチントなども不可という事だ。

そんな中でのアトリエかつびで一室空いたという吉報。

民美運営委員会で話し合い、期待を込めて名称を「実験工房」とし、アトリエの広さなどから6名を定員とし、授業内容は立体を中心とするなどとした骨子を決めた。

授業内容は「石、金属、木、竹など様々な素材を使った創作の可能性を講師と共に探る」といったことを基本にする。授業日は毎週土曜日、午後1時30分から4時30分とした。

もうすぐ50年の節目を迎える歴史ある民美です。日美をあげて育てて行きたいものです。

日本美術会

日美・新会員歓迎会へのお誘い

秋の気配が近づくこの頃ですが、みなさまお元気で創作に励んでおられることと思います。
日本美術会では、本年新しく入会された会員を歓迎・激励する気持ちを込めて、下記のように歓迎会を開催いたします。特別講演をはじめ、新会員の作品を画像でみながら自己紹介、歓談交流の場としたいと思います。今回は、映画・漫画評論家の石子順さんをお招きして、アンデパンダン展にもかつてあった漫画部門の代表作家、まつやまふみお(当会創立会員の一人)と宮下森を紹介します。(この内容は、昨年6月、長野県青木村美術館で行われた「第5回まつやまふみお研究会」の東京再演でもあり、当時参加できなかった研究会メンバーにも参加を呼びかけます。)
皆様のご参加をお待ちしております。

日時   2014.9.28(日) 14:00~17:00

会場   日美アトリエ   文京区湯島2-4-4 平和と労働センター9F  Tel: 03-5842-5666

会費   500円(ビール・おつまみ用意します)

交通費支給(日美会員のみ)鉄道・バス等往復運賃(上限5000円)

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宮下森「月のカーテンの陰で」1971、24アンパン
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まつやまふみお「まねかざる客」1968、21アンパン

日本美術会・組織部            協力:まつやまふみお研究会

アンデパンダン展の風刺漫画家-石子順氏講演から

第65回日本アンデパンダン展で被災地支援チャリテイ 売上と募金

被災地へ支援金を届ける 2012.6.1415

3.11東日本大震災・福島原発事故を受けて、被災地へは内外から支援活動が行われてきました。日本美術会は被災地への支援の心を籠めて作品創作に 取り組むと共に、65回アンデパンダン展で「被災地支援プロジェクト」を立ち上げ、被災地の子どもたちの作品を展示して励まし、アンデパンダン展出品者に よる小品をチャリテイ販売した売上と会場募金 計120万円を被災地に届けました。

(※画像はクリックで拡大します)
去る6月14、15日に65回展実行委員長宮本能成、百瀬邦孝、堀内俊二の3名で被災地を訪れ まず、宮城県仙台市にあるバンビの杜(障害者就労支援センター)の代表取締役などに直接、支援金を手渡しました。大震災で失った送迎バス購入の一部に生か すとして喜ばれました。また、支援センターの仕事について説明があり、仙台平野の被災地を案内してもらいました。大地震と津波の被害の甚大さに驚きまし た。
 
次に、宮城県石巻市立雄勝小学校(学校は破壊され、河北中学校に間借り中)の学校長に面会して支援金を渡しました。子どもたちの登下校、校外学習などのバス運行にも役立てるということでした。間借りの学習生活を余儀なくされている子どもたちは健気に元気でした。
 
翌日、福島県矢吹町立矢吹小学校の学校長に面会して支援金を渡しました。大変喜ばれました。矢 吹小は2010年に耐震工事を済ませていたので、倒壊は免れていましたが、学校長が案内してくれた校舎の壁や柱にはひび割れが何か所も大きくできていまし た。耐震工事をしてなかった学校は倒壊したそうです。それよりも放射能被害で子どもたちは外遊びのできない時期が続き、除染作業後はガラスバッジをつけて の学習生活が続いているようです。
 
その後、福島県いわき市好間保育所を訪れて、所長に支援金を渡しました。保育活動などに役立て ると喜ばれました。この保育所も放射能汚染がひどく外遊びも出来ず、除染作業後やっと時間制限付き外遊び、プール遊びなどができるようになったそうです。 放射能汚染との闘いは続いています。
私たちは被災地に心を寄せて、引き続き制作と支援活動に努める決意を新たにしました。

 
(第65回日本アンデパンダン展被災地支援プロジェクト責任者 堀内俊二)
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雄勝小校舎 2012年4月現在
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放射能モニタリング矢吹小校舎玄関2012.4

アンデパンダン展で被災者支援募金

第64回日本アンデパンダン展開催直前に起きた東日本大震災はその後の津波・原発事故も併せて戦後空前の大災害をもたらし、多くの被災者が今もなお避難生活をおくっています。

第64回日本アンデパンダン展は震災後の節電や交通障害の続く中、限られた開館日の中開催されましたが、展覧会の会場にはお見舞い文も掲示し、鑑賞者に募金を呼びかけました。

様々な文化・スポーツ行事が自粛される中、「震災の復興は文化の復興」と、アンデパンダン展開催の積極的意義を確認しあう会場となりました。

会場で集められた募金127,879円は、日本赤十字を通じて被災者支援に渡されました。

その後、出品者に呼びかけ、35万2千円余りの募金が集まりました。その他、会期短縮による国立新美術館からの返金のうち、出品者の意向で被災者支援に当てられたものが14万500円ありました。これらは、民医連を通じて被災者に渡されます。

ご協力ありがとうございました。

特別決議

国民を危険にさらす原発からの撤退を

本年3月11日、東日本を襲った大震災は、大地震、大津波により甚大な被害をもたらし、さらに原子力発電所の破壊・放射能漏れという重大災害を引き起こし、原発の「安全神話」はもろくも崩れ去った。

原子力発電は、現在に至るも安全性を確保できるコントロール技術ならびに放射性廃棄物処理技術は未確立であり、加えて日本列島は不安定なプレート上にあり、活断層が縦横に走り、いつどこで大地震・大津波が発生してもおかしくない状態にある。

このような状態にある日本の各地でこのまま原子力発電を続けるなら、現在福島県をはじめ東日本各地で発生している深刻な放射能汚染が、日本列島のどこにでも起こりうることを覚悟しなければならない。

私たち美術家は、効率や利益優先の社会でなく、何よりも命を大切にし、心豊かに自然と共生し、安全・安心な社会を望むものである。

原発からの撤退は今や世界の趨勢となりつつあり、我が国においても危険な原発からの速やかな撤退を強く求めるものである。

 

2011年7月18日

日本美術会 第42回総会

目黒美術館の原爆美術展中止に抗議し、開催を求める要望書

 目黒区美術館が4月9日~5月29日に開催を予定していた特別展「原爆を視る1945-1970」が中止されました。その理由は、福島第1原発の事故で「放射線被害を含む原爆と事故のイメージが重なる今は、鑑賞してもらう内容ではない」(中国新聞報道)ということです。

この特別展では、1945年から26年間に発表された原爆に関する絵画や写真、漫画など約600点が展示され、原爆が戦後の日本に与えた影響を見つめ直そうと企画されていたものです。

日本美術会は、1946年に結成されて以降、一貫して「日本美術の自由で民主的な発展」(日本美術会主旨第一項)を目的とし、「人類の生存を脅かす 核兵器廃絶をめざし、戦争と侵略をやめさせ、ファシズムをふせぎ、表現の自由を確保し、平和な世界をつくるために美術家としてあらゆる努力」(同主旨第六 項)をしてきました。

そうしたことから見て、今回の美術展の中止は看過することが出来ないものです。

世界で唯一の被爆国としてまた、その後のビギニ環礁での第五福竜丸の被爆も含めて、原爆は戦後の日本に多大な影響を与え、「NO MORE 原爆」 の声は国民の総意となっていますが、展覧会を視た人たちが原爆にどう向き合い、どう作品群を受け止めていくのかは、あげて鑑賞者の判断に委ねられるべきも のです。本来芸術表現と発表の場は何ものにも左右されず自由であるべきであり、鑑賞以前に恣意的判断をしたり、鑑賞の場を一方的に奪うことが許されるもの ではありません。

まして今回の問題は、福島第1原発の事故を発端としての措置として出されてきていることに芸術・表現・発表の自由などとは異なった政治的意図が働い ていると懸念せざるをえません。今、原発の事故で避難している人々や放射性物質の危険に晒されている多くの人々にとって、原発の安全性の確保と原子力行政 からの転換は緊急・切実です。今回の「原爆と事故のイメージが重なる」という理由は、福島原発の事故のイメージを悪くするといったもので、原発事故の原因 を覆い隠し、事故の究明と再発防止への努力をも追いやるものでしかありません。

私たちは、目黒区美術館がこうした一方的な中止を行ったことに抗議するとともに、開催を決断されることを強く求めるものです。

2011年3月26日

日本美術会

「戦争をする国」への道は、自由な創造を破壊する道

憲法9条と表現の自由を断固守りぬく声明

「かつて戦争は目本の美術を傷つけ破壊した。戦争に反対することは美術家の責務である。われわれは人類の生存を脅 かす核兵器の廃 絶をめざし、戦争と侵略をやめさせ、ファシズムを防ぎ、表現の自由を確保し、平和な世界をつくるために美術家としてあらゆる努力をする。」(日本美術会趣 旨より)

日本美術会は、日本の侵略戦争の痛恨から、1946年、上記趣旨を掲げて 結成されました。以来、様々な歴史の節目にあっても、常に平和と民主主義、表現の自由と美術家の権利擁護のために奮闘してきました。それは、戦争が自由な 創造を破壊した苦い経験が戦後の美術家たちをその道に歩ませたものです。

平和を守る国民の力は、世界に誇る平和憲法の下で、戦後60年間一度も戦争で人を殺していない国という輝かしい歴史を刻んできま した。

しかし、いま、アメリカの一国主義による戦争戦略に追随する小泉内閣と与党の自民党、公明党に加え、野党の民主党も、日本をアメ リカと一緒に「戦争をする国」につくりかえるため、その足かせとなっている「憲法9条」をかえる策動を加速させています。

いま、世界の流れは、アジア・中東・ヨーロッパやオセアニアでも、軍事同盟が崩壊し、平和の共同体がつくられ、国連憲章にもとづ く平和の国際秩序をめざす大きな流れがすすめられてきている中で、ただ日本とアメリカだけが軍事同盟強化の道を歩み続けています。

「戦争をする国」への道は、自由な創造を破壊する道であることは、あの日本の侵略戦争が若き美術家たちを戦争に駆 り立て、多くの 美術家を戦争協力の道へ巻き込んだことを見れば明らかです。二度とその道を歩むことのないよう、いまこそ圧倒的多数の国民の願いを集め、戦争への道を拒否 していかなければならないと思います。

「憲法9条を守れ」の声は、いま日本のすみずみに広がり始めています。

私たち日本美術会は、組織の総力をあげて憲法9条と表現の自由を断固守りぬくために、あらゆる美術家の方々と力を合わせて奮闘す ることを表明します。

2005年7月31日   日本美術会第39回総会 (特別決議)