募集要項
韓国忠清南道・公州市を中心とした美術交流会と、日本美術会で相互に開催されてきた美術交流展と人的交流を今回京都で開催します。節目の10周年となりますので、今までに参加された方には是非とも参加お願いします。パンフレットに顔写真と作品写真(出品作でなくてもOK)が必要です。早めの対応をお願いします。相互理解という意味から大変有意義な隣国との文化交流でした。10周年記念にふさわしく充実したものにするために、積極的なご参加をお願いいたします。
≪出品規定≫
◎出品料の振り込みとパンフレット用顔・作品写真・画歴を提出した段階で、出品申し込み者といたします。
締切日は6月10日です。日本美術会宛てにお送りください
(日本アンデパンダン展に出品しているか、会員の紹介を受けた方が出品できます。)
展示日 2012年7月27日(金)~31日(火)
7月26日(木)搬入 AM11:00~PM14:00
8月1日(水)搬出 AM11:00~PM13:00
7月27日(金)オープニングパーティーPM6:30開場7:00開会:会費5000円
搬入:直接搬入は当日会場、遠方からの搬入は24日(火)必着で、下記住所宛てに送って下さい。(雨天の場合も考慮して梱包は防水をしっかりお願いします)
ARTUNION 〒610-1106 京都市西京区大枝沓掛町26-471
電話 075-332-5436 FAX 075-335-3710 (貴志カスケさんの会社名です)
元・立誠小学校は坂本竜馬が出入りした土佐藩邸跡に建てられ、前には小説で名高い高瀬川が流れ、京都の繁華街の中心に位置します。
出品料金-5000円(同封振込用紙にて事前に振込ください6月10日締切)
※協賛募金は同じ振込用紙に記載して一緒に送って下さい。お願いします。
◎出品作品の大きさ・ジャンルの規定はありませんが、会場の様子、搬入や展示を考えてご判断ください、問題を感じられる方は事前に問い合わせ(貴志カスケさんへ)ください。立体・吊るす作品などの空間はあります。また展示が複雑な方は展示に参加してください。そうでないと責任持てません。
日韓交流展も9回目を迎えた。
交流展参加者は31名、百済祭りツアー参加者は、会員外の人9名を含め、22名だった。
10月7日;仁川空港で関西組、前夜からソウルに滞在組と合流し、4人の通訳と一緒に、貸切バスで公州へ向かった。EunYonGol でカモ料理の歓迎会。1年ぶりの懐かしい方達と再会した後、錦江温泉モーテルに宿泊した。2年前に泊まった時とは食堂経営者が変わっていて、朝食もおいしく、ここで4泊し、温泉やマッサージも楽しめた。
10月8日;扶餘博物館見学・午後は公州国際美術展のオープニングセレモニーに参加。日・韓美術交流展のオープニング。夜は、川のかかった浮橋を渡って公山城へ。川の中に設置された光のモニュメントが水に移り、美しかった。栗のマッコリを飲みながら城の前にある、栗祭りの市場の前で祭りの雰囲気を楽しんだ。
10月9日;清州国際工芸ビエンナーレ見学。清州は公州より人口も多く、たばこ工場の跡地を使った大掛かりな公募・企画・展覧会で、工芸と言っても現代アートに近い作品が多く、興味深く、面白かった。案内してくれたユンさんは、去年日本美術会の事務所を訪ねて来てくれた人で、韓国伝統の御茶席を準備してくれたりと歓迎してくれ、テレビのインタビューも受けたりした。
清州の市場を散策し、蓑を売っている店の前で、子供が悪いことをした時、蓑をかぶって、隣に行き、塩をもらってくるのだという話を聞いたり、お土産を買ったり、試食したり、清州の人の生活の一端がのぞけた。食べ物が安い。化粧品も安い。70円のエプロン、衣服も売っていた。カラフルな布団屋を始め、活気があった。
10月10日;民俗村でスケッチ。短時間だったが、古い家屋が残っている一角で、稲が実り、かかしが立っていた。日本のルーツにも見え、静かな時を過ごした。その後、YATOOの30周年記念式典にも参列し、公州大学のギャラリーに、韓・日交流展を再度観に行った。
10月11日;帰国組と、ソウルに1泊組と仁川空港でわかれた。
印象に残ったのは、8日の夜に見た光のモニュメントと、9日の清州国際工芸ビエンナーレだった。ビエンナーレ展は、たばこ工場跡の会場が面白く、天井の高さが8mくらいあり、工場跡のコンクリートの壁、広い会場に、世界中からの公募作品が並んでいた。日本人の作品もあり、ワークショップのブース・こども向け学習室などもあり、もっとゆっくり、時間をかけて観たかった。
通訳をやってくれた4人の観光科の学生さんと、事務局長の奥さんの心遣いで、楽しく、わかりやすいツアーになった。優しい若者との別れの涙に感激したり、ツアー参加者の日本の若者との出会いの機会にもなったと思う。日美の会員の方々の考えなどもゆっくり聞けて、会議だけで話し合うだけでは見えないお互いの交流にもなった。
数年の付き合いで見えてきたこともある。韓国の美術に対する予算のかけ方は日本も見習って欲しいこと。私達が交流している方のほとんどが公州大学の教授であることは聞いていたが、公州大学のアトリエや学長室を見せてもらい、色々整った中で、制作されていることを知った。一年ぶりで会いに来てくれた彫刻家の李さんの結婚が11月だという報告も受けた。韓国のわが娘として、何度もハグして喜びあった。人的交流はいい形で進んでいる。
2011.11 国際部 遠矢浩子
2010年8回目の日韓美術交流展が目黒美術館で8月3日から8日まで開催された。参加者は日本から日本美術会会員37名、会員外9名(アンデパンダン展出品者)の計46名、公州美術家18名をあわせて64名の作品が区民ギャラリー全面を使って展示された。
公州からの作品は平面より工芸作品が多かったが、可動壁をなくし、全面が見通せるように展示したので、すっきりと見やすかったと思う。来客数は猛暑の中駅から歩かなければならない美術館なので多くはなかったが、来館された方は好意的に見てくれて嬉しかった。韓国の方からも、奈良さんの踊りからオープニングセレモニーを始めたことや、出品作品も良かったとの意見を聞いている。
韓国から公州美術家7名が8月2日から5日まで来日された。3日は六本木周辺見学の後来館、展覧会のオープニングでは各作家が作品への想いを熱く語ってくれた。
4 日は近代美術館の本館と工芸館を見学し、午後川越に移動。小野寺先生の案内でメインの蔵の街を散策した。夜は川越の遊・遊ランドで温泉に入り、懐石料理を食べながら、飲みながら歌を歌う人もいて楽しく、24名で和やかに人的交流ができた。猛暑の中一緒に歩いてみて、ガスのメーターの検査員・昼食の定食・雑貨屋ショウウインドウ・家屋の写真等々を撮る韓国の方を見て日本の普通の生活を見てもらって良かったなと思った。5日の午前中は30度を超える猛暑の中、川越の喜多院や五百羅漢へ案内したが、暑さと宗教の関係?で中に入らずに木陰で休む人が多かった。
5日の午後川越駅で日美側9人が残って見送りした。リムジンバスで成田へ移動し、元気に公州に帰国された。
ソウルから林さんが作品参加と川越の交流会にも参加してくれたこと・京都から中島さんが来て都内案内を手伝ってくれたこと・奈良から瀧川さんも駆けつけてくれたこと・余さんの的確な通訳・小野寺先生の川越案内・皆さんの協力ですべてがスムーズに行った。
今回は会員全員に出品を呼びかけ、今までと出品者の顔ぶれが違ったこと、展示、搬出時の宅急便荷造り、韓国作品返送荷造り、美術館当番など国際部以外の方たちの協力が得られて無事終わったことに感謝します。日本美術会の底力を感じた交流展でした。
国際部 遠矢記
韓国忠清南道・公州との美術交流は今回で7回目を迎えた。お互い顔見知りも増えて、信頼関係も育って、大変気持ちの好い旅であった。日本を発つ時には台風 が迫っていたが、韓国での4泊5日の旅は快晴に恵まれた。
7 日に仁川空港で成田からの18名と、ソウルに先行1泊組み4人、関空からの3人の25名がそろい、公州から学生通訳の3人が迎えに来てくれて、4時過ぎ に出発、7時過ぎに公州に到着した。8日はまず、百済歴史博物館を見学し、映像やジオラマで百済の知識を入れ、扶余(プヨ)に向かったが有名な落花岩を川 から船で眺め、そこにのぼり、定林寺跡の仏塔を見て、その後昼食、宮南池を散策・スケッチなどして林立美術館での工芸展を見、その後「錦江アートセン ター」に到着、陶器に絵付けなど体験して、歓迎パーティーがそこのベランダで行なわれた。懐かしい顔と出会い、歓談したが、寒くなって来て、体調を崩した 人もいたようだった。
9日は「百済四王追慕祭」に参列。天女や雅楽や儒教式のそのセレモニーを興味深く見た。昼食後、公州の市場を歩き、公山城を散策。個々に街を散策した方も いた。城の前の広場で栗祭りのようなイベントやっていた。どうも百済文化祭が中止で、小規模にイベントがやられているらしい。ニューインフルエンザの影響 と説明があった。さて、公山城の城門で集合して、バスで鶏 龍山の甲寺(カプサ)に移動、老木が多いその寺を散策した。その奥にある伝統茶家で飲んだ、 黒く来いナツメの甘味のするお茶だった。その後下って門前街にある食堂で薬膳料理と云うのか、 ドングリの寒天のサラダ、人参もどきを焼肉のように焼いて食べ、マッコリを飲んだ。ここでソウルから合流した林さんが来て、今回参加の26名が全員そろっ た。タクシーで山道を登ってきた 時には心細かったらしい、林さんの言。夜は交流展の展示中で、呼び出されたり、宿にYATOOの友人が訪ねてきたりで忙しい夜になったが、毎回こんな感じ だ。
10 日朝は朝食が済むと近くの熊の廟に詣でた、二日連続で散歩した。静かでとても美しい場所、 この熊の廟が公州の伝説の物語の場所である。行かれてない方は残念だった。さて、この日短時間だがYATOO(野投)の美術山(ミスルサン)?を訪問し て、時間が無いので直ぐに国立公州博物館に行き、85歳の日本語が達者な方のレクチャーを受ける。会長のYoo,Soon-Sikさんの先輩らしい。博物 館の展示も一緒に見て、その後昼食、公山城前のトルソッパ(豆ご飯)を頂いて、根岸さんの要望もあった東学農民の乱・終焉の地記念塔に立ち寄る。ここ公州 は百済国の危機の時代の都であったが、同時に近代に朝鮮で起きた大規模な革命戦争の終焉の場所でもあった。
さて、国立公州大学の百済アートセンターで、日本美術会と日本アンデパンダン展のレクチャーを遠矢さん解 説、林さん通訳で行なわれ、映像を使っての初めての紹介がされ、これは理解を 深めるための大きな一歩だったと思う。その後韓日美術交流展のオープニングが1Fのギャラリーで開催。市長さんや文化関係の担当者、大学の関係者、 YATOOやそのハウスでアートインレディデンスに来ているオーストリアやドイツの作家も参加、首藤代表の挨拶や公州市長の挨拶などあり、遠藤さんやオゼ キさんから絵のプレゼントを市長さん会長さんにした。その後はこのビルの12・3階にあるレストランで、バイキングスタイルのパーティーがあった。名残惜 しい、 晩餐になったが、宿でまた飲み、次の日の早朝の夜明け前の出発だったが、会長さんや若手がお別れに来てくれて、ハグして分かれた。本当に暖かい交流があっ たなーって、眠い朝焼けの中、仁川国際空港に向うバスの中で噛みしめたものだった。さようなら!また会おう!と。 (木村勝明)
公州との美術交流は交互に6回目を迎えた。公州では「百済文化祭」時に実施され、20名以上の初韓国 体験と人的交流が行われ、日本では今まで京都で二回実施された。これにも韓国から20名近い美術家が日本に来て、日本の文化について理解を深め、人的な交 流もされた。作品展も1回目は京都市美術館別館で、二回目は国際交流会館と近くの画廊の二会場で行われた。今回は初の東京、日本橋「好文画廊」で9月16 日~21日に開催。公州から8名の美術家が訪日、16日~19日まで、3泊3日で、ツアーを組んで、車をチャーターし、独自に東京の美術館などめぐったわ けで、日本美術会としての東京案内のサポートがなくなり、助かった面があったが、人的な交流が少なくなったという事では残念な面もあった。しかし、これも 財政的な問題から、今回から基本的には自ら経費を出しての訪日ということで、合理的な解決をしたという面もあったろうから、それも1つのやり方だろうと思 う。16日のオープニングパーティーとその後の歓迎夕食会:(韓国から8名、日本側から25名の参加)17日は今後の交流について会議(5名で)。18日 はお別れ夕食会(韓国から7名、日本側から8名の参加)。作品を見て、お互いを知り、夕食会などで親しくなる、理解を深めるというパターンだったが、お土 産の交換とか、(花瓶と小皿5つもらう)こちらからは伝統的なデザインのハンカチをプレゼントした。作品の送付では航空速達を使ったが、受取るときにトラ ブルがあったが、税関の電話を受けた人がたまたま職美のメンバーの人で、スムーズに運んだという事があったので、そのことも多くの協力の賜物と云う点で、 書いておきたい。(K)
かつて百済の首都であった公州の美術家と日本美術会との交流展および人的交流が
10月13日~17日(水)にかけて、行なわれた。
韓国の三大祭りのひとつ・百済祭り(10月11日から1週間)の一環としての行事で、
昨年の京都での開催についで5回目の交流展。
日美からは根岸君夫・十滝歌喜・遠矢浩子・貴志カスケ・貴志早苗・岡田毅の6人、
および会外の瀧川みずほ・中島真由美、計8人が参加した。
初日は到着が夜となり、バスターミナルで金明泰会長らと1年ぶりの再会、後会食。
2日以降、陶芸センター見学・実習、華厳宗の山寺甲寺(カプサ)参拝、百済祭り公募展鑑賞、
錦江(クンガン)の浮橋渡り、公山城での棒投げ、茶席体験、守門兵交代式見物、市場散策、
古墳群模型館、武寧王陵、国立公州博物館、石荘里(旧石器時代遺跡)博物館等見学などなど、
公州の名所・文化施設を案内していただいた。
全日程を通じて、文化遺跡解説士資格を持つ通訳、李恵影さんが懇切な開設をしてくれ、
金会長、金杜暎事務局長、李浩信氏らが同道、他の数名も折に触れ合流した。
交流展は10月15日から20日まで公州文協会館にて開催。日本作家10名(作品のみの参加、
渡辺皓司・木村勝明・上原二郎を含む)の20点と、韓国作家30名の作品が2室にわたって展示
されていた。韓国側の作品は伝統的な工芸・水墨画や斬新な混合技法まで多彩。
15日夕刻5時よりオープニングセレモニーとパーティー、続いて公州副市長招待の夕食会が行なわれた。
伽耶琴やパンソリの演奏もあり、楽しい宴であった。
連日好天に恵まれ、公州の歴史と自然の豊かさに触れ、温かい歓迎の中に民族の誇りと心根の
優しさを深く感じ取ることのできた、思い出深い旅であった。 (文責・根岸君夫)
※画像をクリックすると大きく 表示されます。
日本美術会国際部
開場時間:午前9時30分~午後7時(最終日は4時終了)
開場時間:午前11時~午後7時(最終日は6時終了)
●13日オープニングパーティーPM6:30開場6:45開会(京都市国際交流会館にて)
●16日Am10:30より作品研究会(予定)
主催:日本美術会 共催:韓日美術交流会
後援:京都市国際交流協会・京 都 府・京 都 市・京都新聞社
NPO法人日韓文化交流センター・詩人尹東柱を偲ぶ京都の会
日本美術会国際部
「日韓美術交流展」2006京都が17日に終了した。10名の韓国からの美術家(出品者)も無事帰国した。「京都市国際交流会 館展示室」と「アートスペース東山」の二会場を使っての展示、その作品セミナー(16日・参加約二十名)。オープニングパーティー(13日)はおよそ60 数名が参加して、催しなども盛会に開かれた。そして、京都観光は、京都実行委員会によるコーディネイトされた二条城・金閣寺・龍安寺・広隆寺など回った。 色々なお店(食事・ショッピング) など、相互理解の一端を担ったのではないか?と思う。また今回は宿舎の「日韓文化交流センター」での宿泊と朝食などの交流、「詩人尹東柱を偲ぶ京都の会」 の後半の通訳のサポートと韓国の美術による自主的な募金(記念碑建立の)などの交流、15日の京都アートカウンシルの町家を再生した画廊「小米庵」での パーティー招待。いろいろな文化交流の広がりがあった2回目の交流展だったと思う。同時期に「日本美術会京滋会員展」が別会場であって、地元には大変忙し い日々となったが、そこを韓国の方々を案内した時、U氏の奥様から皆さんへのお土産が配られたりして、暖かい心を感じたものだった。そういう意味でも広が りがあったとおもうが、なかでも 偶然、京都在住・台湾出身の水墨画家王氏が展示の中に二十二年前の恩師を見付け、感動的な再会を果たした場面も出現したりして、東アジアの交流へと展開し ていったのは、偶然とはいえ、今後のあるべき姿を垣間見た瞬間だった。17日晴れ渡った空の下、光運寺前にてバスをお見送りしたが、暖かい友情の気持ちが 湧き上がってきた事を報告しておこう。(文責・木村勝明)
2006年10月13日~17日(14名参加)
韓国初体験者が14名中7名だった。そういう意味では貴重な経験になったと思う。光州・と日本美術会との交流 は、相互に開催された交流展を含めて3回目の交流になった。
14日、霊巌国立公園の王仁(ワニ)博士の廟、陶器文化センター、霊巌郡郡主による招待昼食会、そして月出山 (ウルチュルサン)写生。(地元の画家も同行参加する)
15日、松広寺(ソングァンサ)、市内・芸術の道の画廊回り。
16日、第6回光州ビエンナーレのメイン企画展の鑑賞、光州ビエンナーレ事務総長・金才奎氏の招待昼食会、光 州市長・朴光泰氏への表敬訪問、光州民族博物館見学、市内の伝統市場のショッピング。
それと、14日の韓国美術協会光州支部の歓迎夕食会(光州市副市長さんも参加)。同16日お別れ夕食会も催さ れました。朴智澤会長、重鎮の林炳星氏、協会の皆様に心より感謝したい。暖かいもてなしの心を感じた旅だった。
画廊の幾つかの個展では、作家との交流もあったし、月出山のスケッチには光州の風景画家らが同行してくれた。 市長さんへは、わが会の彫刻家・冨田憲二氏から古代からの民族の交流を象徴する船のテラコッタがプレゼントされた。(市長さんからはネクタイのお土産をい ただいた)
全体の感想はまた時が過ぎ、冷静な目を持って振返る日も来ることだろう。その日を待とう。
大きく変化する光州と、伸び伸びと広がるサーモンピンクの大地と、所々稲刈りが終っていたが、稲穂が色づく田 園風景。ウルチュル山の勇壮な姿、素朴で親しみを込めた微笑の人々。林炳星氏のお歳を思うと胸にジーンと迫るものがある旅ではあった。(文責・木村)
日本美術会国際部
前略。韓国・公州への人的交流参加者は11日(一人9日に)全員無事帰国いたしました。公州の「韓日美術交流 協会」の計画した日程に従って、韓国や公州理解のために、博物館や寺、扶余観光、百済祭りの行事など参加し、また金明泰・金杜瑛・李應雨ら役員や、若い会 員の方が同行してくれたし、時には夜遅くまで飲んで親しんだ。韓国初体験が多かった今回の公州訪問者には、感動的な日々になったと思う。帰国早々の報告写真ニュース1号(文責・木村勝明)
韓国の光州市(全羅南道)と公州市(忠清南道)での交流美術展とその歓迎ぶりは 熱気あふれるものでした。作品交流と計20人訪問で、韓国文化への理解が進みました。
光州市の南道芸術会館-「韓・日美術交流招待展」2003年9月24日~28日 公州市の公州市文芸会館-「韓・日交流展」2003年10月9日~14日 光州へは11名、公州は9名、日本から韓国へ訪問、交流しました。 日本から光州へは22名40点の出品。公州へは10名22点の出品をしました。 前年の2002年がワールドカップ・コリアジャパン(日韓共同開催)で、これが成功したし、 韓国では長年にわたった日本文化への持込禁止政策が徐々に緩和され、基本的には全面解禁の年でもあったという事。 そういう転換点とでも言う時期にあたったのか、本当に大きな期待がこの交流展に集まった事は、訪韓した日本美術会会員の実感だったのではなかろうか。 自治体の役員から各美術大学の教授連など毎夜交流が続いた。ツアーも行われ、知らなかった韓国への認識が深まった。 次の年2004年から日本では「冬のソナタ」ブームが社会現象と言われ、「韓流」が話題になりだした。どうもこうして今振り返ってみると、 日本美術会の韓国二都市での韓日交流展と人的交流という船は、時の流れの本流に乗り入れていたと言えそうだ。2003年の美術分野でのこの出来事は、 隣国との平和と文化相互理解に向けての一歩であり、東北アジアの自主的美術運動の交流の第一歩であった。
京都と東京で開催された会主催の二つの「日・韓交流展」が終了した。または、始まったというほうが良いのかもしれない。 昨年の韓国二都市で開催された「韓・日交流展」の続きの、今年は日本での連続展であった。 美術展と人的交流の二つの催しがそれぞれが 10 名、計 20 名の韓国からの美術家と美術関係者を招いた大きなイベントだった。 …その経過と歴史…
''Japan - Korea exchange''Nihon Bijutsu Kai Art Exhibition
百済の古都・公州のアーティストとの新しい時代展
京都市美術館別館 2004.9月21日~26日
主催:日本美術会/ 「日・韓 交流」日本美術会展 実行委員会
共催:韓国美術協会 公州支部
後援:京都府/京都市/京都新聞 / 駐日韓国大使館 韓国文化院
韓国からは 10 名・ 20 点の出品があった。 10 名が来日した。オープニングセレモニー、レセプション、作品研究会、奈良ツアー、京都ツアー、など人的交流、文化相互理解のためのプログラムが実施され た。日本側からは 114 名 138 点の出品がされた。鑑賞者や催し参加者を含め延べ千数百人が関わった。
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‘Japan-Korea Art exchange'' Tokyo Exhibition
光州・全南のアーチストとの新しい時代展
セシオン杉並 展示室 2004 11月16日~21日
主催:日本美術会/ 日韓美術交流展実行委員会
共催:光州・全南 美術文化發展研究會
後援:駐日韓国大使館 韓国文化院 / 我泉美術館
韓国から 36名・37点の出品があり、10名の招待、来日があった。 オープニングセレモニー、レセプション、作品研究会、鎌倉ツアー、など人的交流、文化相互理解のためのプログラムが実施された。 日本側からは56名62点の出品がされた。鑑賞者と催しもの参加者を含めて延べ千人ほどの参加があった。
二つの「日・韓 交流展」と人的な交流が終了した。京都 9 月・東京の 11 月という連続する日程は、実行委員に過労を強いたが、不充分ながら大きな問題を生じることなく、相互理解が前進した。「冬のソナタ」が代表する「韓流ブー ム」が追い風になったのか?と聞く人がいたけど、それは逆であって、そうした現韓国の文化活力と日本美術会の国際活動が共鳴し合ったことで、劇的な変化が あったと言われる最近の日韓交流の深部に入り込んでいたのではないのか?その時、我々こそが日韓文化交流の本流に位置していたのだと。大げさな事を言うと 思われるかも知れないけど、時が証明するだろうと。
二つの交流展と人的交流のビデオも制作されたことも付け加えたい。
(文責・木村勝明)